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私の曾祖父【戦死した曾祖父を追う①】

戦死した曾祖父を追う①

曾祖父について

私の曾祖父・牛谷 (うしたに) (いさお) は、北海道に位置した日魯 (にちろ) 漁業(現・マルハニチロ)の会社員で、ロシア語を話すことができたことから、「外事係(対外国の係)」として働いていました。

牛谷功

太平洋戦争

しかし、1941年12月8日、太平洋戦争が始まります。

その時30歳。牛谷功は旧日本軍の軍属となりました。

主な仕事は「通訳」。 ロシア語が話せることから日本軍の通訳として働くこととなりました。

1945年8月18日

日本で玉音放送が流れて3日後のこと。 ソ連軍がカムチャッカ半島から千島列島・占守 (しゅむしゅ) 島へ攻撃を始めました。

北太平洋の島々(上原卓 著「北海道を守った占守島の戦い」 p43 より)

「占守島の戦い」です。

牛谷功はその日、占守島・幌筵 (ぽろむしる) 島にいました。

そしてソ連軍との停戦交渉のため、ロシア語通訳として、最初の軍使1に随行することになりました。

しかし、その道中にソ連兵に撃たれて戦死しました。34歳でした。

戦死した曾祖父を追うため、私はまず、「占守島の戦い」について調べることにしました。


  1. 軍使・・・交戦中、軍の命を受けて、交渉のため敵軍に派遣される者 ↩︎

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